和歌memo 唐紅/うつつ編-唐紅√
(斎王)君やこし我や行きけむ思ほえず 夢かうつつか寝てかさめてか
(狩の使)かきくらす心のやみにまどいにき 夢うつつとは今宵さだめよ
(斎王)あなたが来たのか私が行ったのかわかりません。夢か現実か寝ていたのか起きていたのか。(狩の使)暗くなる心の闇の中で迷ってしまった。夢か現実かは今夜決めなさい(今夜わかる)。
『平安時代に成立した歌物語(うたものがたり・和歌をめぐって構成される物語)で、各段は「むかし、男ありけり」で始まる。随所に在原業平(ありわらのなりひら)の歌が引かれ、業平を主人公として意識させる内容が中心になっている。
とくに六十九段は斎王と狩の使(かりのつかい・鳥獣狩猟のために諸国に派遣された役人)との贈答になっていて、神に仕える斎王が男性と恋に落ちるというスリリングな物語である。
かち人の渡れど濡れぬえにしあれば
又あふ坂の関はこえなむ
(上句みこと下句唐紅)
斎宮寮の入り江は徒歩で歩いて渡っても裾が濡れないほど浅いので、また逢坂の関を越えて都に帰るでしょう。その時またお会いしましょう。
妙啊!!!!!!!!!
和歌memo 唐紅/うつつ編-うつつ√
秋山の黄葉を茂み迷ひぬる
妹を求めぬ山道知らずも
(うつつ)
秋山の黄葉の茂みに迷ってしまった妻を探し求めるのだけれど、道が分からないのです。
この歌も柿本朝臣人麿(かきのもとのあそみひとまろ)が軽(かる)の地にいた妻が亡くなった際に詠んだ挽歌で、先の巻二(二○七)の長歌に付けられた反歌二首のうちのひとつ。
長歌の「黄葉のように散ってしまった」の表現と呼応した内容ですが、おそらくはこの隠妻が亡くなったのも黄葉の鮮やかな時期だったのでしょう。
万葉集の時代の挽歌には、この歌のように「亡くなった人を呼び戻しに行きたいけれど道が分からない」との表現がよく見られますが、それも死者の魂や死後の世界の存在を常に身近に感じていて、連れ戻せる術がどこかにあると信じていたからなのかも知れませんね。
この反歌も、「もう一度妻に逢えるならどんな場所でも連れ戻しに行きたい」との、人麿の哀しくも切ない思いがよく表れている一首のように思います。
和歌memo 唐紅/うつつ編-うつつ√
和歌memo いろは編
山たかみ嶺のあらしに散る花の
月に天霧るあけがたの空
(???)
山が高いので(風は)嶺をかけめぐる嵐(のよう)に(吹き荒れて、その風に散らされて)舞い上がり舞い踊る桜の花が(明け方のほの白い)月を(目もくらむほどに見渡すかぎり)霞ませている明け方の空。
和歌memo いろは編
しのぶれど 色に出でにけり わが恋は
ものや思ふと 人の問ふまで
(百歳)
心に秘めてきたけれど、顔や表情に出てしまっていたようだ。
私の恋は、「恋の想いごとでもしているのですか?」と、人に尋ねられるほどになって。