和歌memo 姫空木編-蛟√
数ならぬ 心の咎に なし果てじ
知らせてこそは 身をも恨みめ
(蛟)
ものの数でもない私の心の過ちとしてしまうまい。私の恋心をあの人に伝えて、それで叶わなかった時に我が身の拙(つたな)さを恨もう。
始めから我が身の拙さを恨んでしまうのではなく、まず積極的に行動に出て、それでだめなら自分の
実力のなさを恨もうということです。
蛟的短歌好像都是西行的?
和歌memo 唐紅/うつつ編-唐紅√
(斎王)君やこし我や行きけむ思ほえず 夢かうつつか寝てかさめてか
(狩の使)かきくらす心のやみにまどいにき 夢うつつとは今宵さだめよ
(斎王)あなたが来たのか私が行ったのかわかりません。夢か現実か寝ていたのか起きていたのか。(狩の使)暗くなる心の闇の中で迷ってしまった。夢か現実かは今夜決めなさい(今夜わかる)。
『平安時代に成立した歌物語(うたものがたり・和歌をめぐって構成される物語)で、各段は「むかし、男ありけり」で始まる。随所に在原業平(ありわらのなりひら)の歌が引かれ、業平を主人公として意識させる内容が中心になっている。
とくに六十九段は斎王と狩の使(かりのつかい・鳥獣狩猟のために諸国に派遣された役人)との贈答になっていて、神に仕える斎王が男性と恋に落ちるというスリリングな物語である。
かち人の渡れど濡れぬえにしあれば
又あふ坂の関はこえなむ
(上句みこと下句唐紅)
斎宮寮の入り江は徒歩で歩いて渡っても裾が濡れないほど浅いので、また逢坂の関を越えて都に帰るでしょう。その時またお会いしましょう。
妙啊!!!!!!!!!
和歌memo 姫空木編-蛟√
惑ひきて 悟り得べくも なかりつる
心を知るは 心なりけり
(蛟)
これまで惑いながら生きてきた人生ではあるが、悟りを得る事ができなかったこの愚かな心を知っているのもまた、自分の心なのだろう